プロフィール・経歴

寝たきりを防ぐ『動的アプローチ』の専門家|機能美を創る訪問マッサージ師

のべ2万5000人以上の臨床実績を持つ、元陸上自衛隊員の訪問鍼灸マッサージの専門家。

国家資格の学費を貯めるため陸上自衛隊に入隊し、除隊後に資格を取得。大手整骨院で痛みや麻痺の施術、姿勢改善のアプローチ経験を積む。

最愛の祖母が脳梗塞に倒れ、自力で治療院に通えず寝たきりになった時に、何もしてあげられなかった悔しい経験から、「あの時、おばあちゃんにしてあげたかった最高のケアを、今、目の前で困っている人に届けたい」と決意し、訪問鍼灸マッサージを開業。

自衛隊仕込みの強い責任感をベースに、患者様の「機能美」を呼び覚ます独自の関節可動域訓練や動的アプローチを確立。

その的確な施術と機能回復への向き合い方は、地域の医師(ドクター)やケアマネジャーからも絶大な信頼を得ている。

太宰府市を中心に「寝たきりゼロ」を目指し、今日も現場を奔走中。

-取得資格・保有資格-

  • 鍼灸師

  • あん摩マッサージ指圧師

  • PHIピラティス マットⅠ&Ⅱ(更新してません)

  • NSCAパーソナルトレーナー(更新してません)

  • 全米NLP協会認定プラクショナー

  • 日本NLP協会認定プラクティショナー

  • LABプロファイルプラクショナー

太宰府市・筑紫野市・大野城市で訪問リハビリマッサージをしている田上代表のあん摩マッサージ指圧師の免許
太宰府市・筑紫野市・大野城市で訪問リハビリマッサージをしている田上代表のはり師の免許
太宰府市・筑紫野市・大野城市で訪問リハビリマッサージをしている田上代表の灸師の免許
太宰府市・筑紫野市・大野城市で訪問リハビリマッサージをしている田上代表のNSCAパーソナルトレーナーの免許
太宰府市・筑紫野市・大野城市で訪問リハビリマッサージをしている田上代表のPHIピラティスの免許

どんな人物なの?ここまでの簡単な歴史

幼少期

1987年6月、長崎県松浦市で生まれました。

厳密に言うと、生まれた病院は平戸市田平です。

身長は不明ですが、体重2240gととても小さく生まれました。

母いわく、流産しかけたとのこと。

無事でよかったです。

産んでくれてありがとう。

父・母・姉・祖母の5人家族で、とてもとても大切に育てられました。

特に、祖母からは怒られた記憶がありません。

甘々に育ったと思います。

そのおかげで、活発で自由な子どもでした。

小学生の頃、かっけっこは常に1番で、ソフトボールクラブに入り、1番セカンドで活躍していました。  

太宰府市で訪問リハビリマッサージをしている田上代表の幼少期の写真

「プロ野球選手になるけん」大好きだった女の子に誓った夢

中学に入学すると、野球部に入りました。

 その当時、プロ野球中継に釘ずけでした。

読売ジャイアンツの1番セカンドで活躍していた、仁志敏久選手に憧れていました。

自分自身、身体が小さかったこともあり、仁志敏久選手が身体が小さいながらハツラツとプレーする姿を自分自身に重ねていたのかもしれません。

そして、それはいつしか、憧れから夢へと変わりました。

プロ野球選手になりたい。

そう思いだしました。

卒業文集にも書きましたし、学校の先生や家族や友人にもそう言っていました。

当時大好きだった女の子にもそう言っていました。

「オレ、プロ野球選手になるけん。」

そう言って、野球漬けの生活を送りたいと、県有数の強豪校に進学しました。

夢破れた高校時代

その夢は進学早々破れることになりました。

親元を離れての下宿生活。

私は甘かったです。

自分の弱さを知らなかった。

なんと、ホームシックになったのです。

なかなか学校にも馴染めず、下宿先の先輩と上手くいかず。

気付けば、登校拒否、退学危機。

担任と副担任の先生、何回お家に来たかな?

という感じです。

退学は免れましたが、野球部を退部しました。

正直、ダサいです。

中学時代の先生や友人、家族、大好きだった女の子に声高々に宣言してからの進学。

そして挫折。

この事が、自分自身への信頼を失くし、自信を失う出来事となりました。

これが、私の内面のコンプレックスとなりました。

運命のスポーツトレーナーの学校への進学

高校卒業後、スポーツトレーナーの専門学校に進学しました。

初めての一人暮らし、バラ色の青春が待っている。

そう思っていました。

がしかし…

福岡での一人暮らしをして数ヶ月経った頃。

19歳の夏に外見のコンプレックスを持つ事になります。

この頃、顔中にニキビができました。

本当に顔中です。

正常な皮膚がないくらい酷かったです。

食生活にも気を配りましたし、有名な皮膚科にも通いました。

岩盤浴がいいと聞けば学校の合間を縫って通いつめましたし、アミノ酸で洗顔すればいいと聞けば毎日アミノ酸で洗顔しました。

保険が効かない美容皮膚科でレーザー治療もしました。

今も、いろいろ試してます。

話しが脱線しましたね。笑

続きをどうぞ。

この専門学生の頃、治療院のアルバイトを始めました。

そこで、師匠の山口司さんに出会いました。

治療院の院長をしていた山口さんに、何から何まで基礎という基礎を教えてもらいました。

20歳という年齢の時に、真っ白なキャンパスの時に山口さんに出会えてよかったと思います。

ありがとうございます。

山口さんは、鍼灸あんまマッサージ師という国家資格をお持ちで、知識量・経験値・コミュニケーション力がズバ抜けてすごかったです。

山口さんみたいになりたい!

そう思い、鍼灸あんまマッサージ師の資格を取得するために、新たに専門学校へ行くことを決意しました。

しかし、そこには学費という大きな壁がありました。

フェミニンな顔した元自衛隊員。第5匍匐前進は「地球にキス」

専門学校に進学するには、かなりの額のお金が必要でした。

別に、家庭が貧困だったわけではありません。

一生懸命、両親は専門学校の学費と生活費を出してくれていました。

スポーツトレーナーの専門学校卒業後すぐに、鍼灸あんまマッサージ師の専門学校に通うこともできたでしょう。

ただ、僕は言い出せませんでした。

ですので、その学費を貯めるためにに陸上自衛隊へ入隊しました。

こんなフェミニンな顔をして、元陸上自衛隊員です。

自分でフェミニンって言うなよって話ですよね。

そんなツッコミも聞こえてきそうですが、先に進みます。

異色の経歴ですよね。

厳しい厳しい訓練の日々を乗り越えました。

匍匐前進(ほふくぜんしん)や射撃、大砲を撃つ訓練や、モールス信号や暗号でのやり取りなど、普通は経験できないことを経験させて頂きました。

ちなみに匍匐前進は、第1から第5まであります。

第5匍匐前進に関しましては、ほぼ地球にキスしてます。

モールス信号は今でも夢に出てきます。

モールス信号で告白したことあります。

もちろんフラれました。

また話が脱線しましたね。笑

この陸上自衛隊の2年間では、連帯責任という悪魔の響きに何回も腕立て伏せを課せられました。

自分だけできればいいという考えはこの時になくなり、どうやってみんなできるようになるかなと考えるようになりました。

そして、他人に対して寛容になったのもこの頃からかなと思います

普通に生活しているより、”死”を身近に感じていたので、自分を律することの重要性や規律を守る重要性が身についたのではと思います。

時間を守ることに関しては、今でも強迫観念に近い執着があります。

ここはどうにかしたいところです。笑

太宰府市で訪問リハビリマッサージをしている田上代表の陸上自衛隊時代の写真

祖母と義理の兄の死

ちょうど陸上自衛隊の2年任期満了寸前に、大好きだった祖母と義理の兄を亡くしました。 

亡くして初めて大切さを知る。

よく聞く言葉ですが、身にしみてわかりました。

祖母の死という出来事は、自分自身を見つめ直すきっかけになりました。

それと同時に、祖母にもっと何かできたんじゃないか?、もっと優しくしておけばよかった、と罪悪感を持つことにもなりました。

それがのちに、今まさにやっている、自力では治療院に通えない方への訪問鍼灸マッサージを開業するということに繋がっています。

そして、同時期に義理の兄の死。35歳という若さでした。

残された姉や、その子ども達。

まだ姪っ子と甥っ子は3歳と1歳でした。

そんな義理の兄を取り巻く環境の悲しみに触れることにより、人々の背景まで見るようになりました。

本人だけじゃなく、家族や周りの人達のことですね。

人を大事にするという事は、その人の背景や周りの人々までも大切にすることなんだと気付かされました。

そんな思いを胸に刻んだ経験でした。

太宰府市で訪問リハビリマッサージをしている田上代表の幼少期の祖母との写真

2年の陸上自衛隊任期満了で鍼灸マッサージの学校へ進学

2年の陸上自衛隊を任期満了し、静岡県熱海市にある鍼灸あんまマッサージ師の専門学校へ進学しました。 

九州を離れるということがこんなに寂しいなんて思わなかったです。

ここからまた3年かぁと長く感じてしまったことを思い出します。

1歩1歩ってことですね。何もかも。

鍼灸あんまマッサージ師の学科には、高校卒業して間もない人や、定年間際で退職してきた50代の人まで幅広い年齢層の人がいました。

幸運にも、同い年の人が多いクラスでしたので、楽しく勉強することができました。

さすが国家資格を取得するための学校。

勉強する内容も深く、東洋医学と西洋医学の両方を勉強しました。

アルバイトをしながらの学校生活で、いろいろ大変な時期もありましたが、無事に鍼灸あんまマッサージ師の国家資格を取得することができました。 

頃合いを見て、熱海でお世話になった方にご挨拶をしに行こうかと思います。

鍼灸あんまマッサージ師として福岡の整骨院に勤務

国家資格を取得して、全国でも有名な整骨院に就職しました。

そこでは、ヘルニアの患者さんやスポーツでケガをされた方の鍼灸施術や、痛みや麻痺に対しての施術、お灸女子達に対して東洋医学を用いての冷え対策・代謝アップなどの女子力アップのための治療、猫背改善・骨盤調整などの骨格改善に携わりました。

1日に20人以上、2年間で12000人。

かなり長い時間ハードにやったのを覚えています。

この経験が今となっては貴重な経験だと思っています。 

そんな中、いつも頼ってばかりいた父が鬱病を患ってしまいました。

正直動揺しました。

どうにかしたい気持ちで、NLPという心理学を学ぶようになりました。

心理学を学ぶようになり、患者さんからカウンセラーみたいだから、いろいろ話せるという事を言ってもらえることがありました。

実は、心理学の勉強というのは、対人関係の勉強からではなく、自分自身とのコミュニケーションから勉強します。

自分自身と向き合う事により、僕自身の価値観と触れることになりました。

そこでわかった自分がしたいこと。

それは、”おばぁちゃんへの恩返し”と”パーソナルトレーナーでクライアントさんの悩みを解決する”ということでした。  

訪問鍼灸マッサージ開業とパーソナルトレーナー活動開始

整骨院での治療の大部分は、マッサージやストレッチ、骨盤矯正や猫背矯正という、患者様が受け身で行うものでした。 

もちろん、多くの患者さんのお役に立てたと思います。

多くの姿勢改善に携わらせて頂いて、多くの女性達が、姿勢改善によって、立ち姿美人になっていくのを見届けてきました。  

しかし、どうしても、受け身の治療や猫背矯正、骨盤矯正では創り上げられない”機能美”がることに気づき、限界を感じました。 

この気づきが、自分がやりたい事に拍車をかけて、2年間お世話になった整骨院を退社することを決意しました。

2年間の整骨院勤務を終え、”おばぁちゃんへの恩返し”のため、自力で治療院に通えない方への訪問鍼灸マッサージを開業しました。

以前勤めていた整骨院の社長や上司達のおかげで立ち上げて、波に乗ることができました。

本当に感謝しています。

ありがとうございます。

訪問鍼灸マッサージのは、脳梗塞で片麻痺になった方や、寝たきりの状態で関節が固まっている方への治療が大部分です。

脳梗塞後遺症の片麻痺はおばぁちゃんと同じ症状です。

あの時、何もできなかった悔しさを、罪悪感を晴らしているのかもしれません。

そして現在にいたります

大体、こう言う流れで生きてきてます。

丸裸まではないにしても、色々とおっぴろげて書いたと思います。

そして、今に至り、太宰府・筑紫野・大野城を中心に走り回っています。

どうぞ、こんな僕ですが、よろしくお願いします。

たがみ訪問鍼灸マッサージ 代表 田上雅寛